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歴史の新事実って大抵いままでの伝承より事実はショボかった、というパターンが多いんだが・・・この一族の場合もっとすごかった
昌幸は武藤家の養子になっていたので、信綱が長篠で討ち死にした後、信綱の娘と信之を婚約させて家督を継ぐのに正当性を持たせたと言われています。小松殿は関ヶ原の頃は大阪にいたのですね。この事実は知りませんでした。武装して昌幸を城に入れなかった逸話が好きだったのにw。
今 レンタルで真田丸を見てるから面白いです。
武士の本懐を遂げられたんだ、天国で喜んでるだろう
え、なにか新事実になった事がこの動画にあります?刀狩りだって村単位である以上防衛の為刀や槍の所持は前からの事実であり、兵農分離だって士農工商の基礎を固めたのであって完全な兵農分離ってなに…あとワンちゃん吉継の書状の妻子って清音院の可能性もあるよね?前年に家康が妻子の一部を勝手に帰国させてるし…難しい
新事実は言い間違いだけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
信之の妻、小松姫が大坂にいたこと。したがって沼田城で義父を追い返した話は真っ赤なウソってことになる。
@@明石則実 沼田を北条に譲って箕輪を領有してからの、信幸の権限で家臣に領地を与えてることから信幸は昌幸から独立してたのかも知れませんね。それだとする小松姫も大坂にいたのは納得生きますらね。
なんで大阪に居たのかも余り納得いかないな本多の姫なら尚更
@@jardins-du-cosmos なぜ本多の姫だと懐疑的なんです?
昌幸は徳川に負けたことがないという話もある。三方ヶ原、2度の上田合戦。真田が大阪城に入場した時、家康は親の方か子の方かと聞いたという話しもある。
小松殿の話はたまげたなぁ。さすがの忠勝の娘よ。の台詞が無くなったんだからねぇ。
てゆうか、そんないかにもテレビ受けする逸話を史実と思い込む方がどうかしてるだろ(笑)啄木鳥戦法も三段撃ちも全部嘘(笑)
@@pyonpyonkim922 小松姫が本多忠勝の娘だから西軍にとって人質としての価値は細川ガラシャよりも高いでしょう。何故ガラシャだけ抹殺されたかはその父親が(ry徳川の後世作り替え話は豊臣家のとは違って何でもアゲアゲではないのです。関ケ原も殆ど嘘ですからね。
@@もぶえじ 今では、関ケ原の合戦もなったくの別物、関ヶ原で戦いはなかった。小早川は戦の最中に裏切っていない。などの説が有力ですからね。
上田城櫓門脇に真田石といって信之が移封先の松代に持って行こうとしたが動かせず断念したという巨石がありますが、この石についても真田氏を偲ぶために根拠なく誰かが勝手に言い出したことなのでしょうね
個人的には、真田信之がもっと世間にクローズアップされてほしいですね。若い頃は、父に従って数々の戦場を駆け抜け、徳川の時代では真田を守るために心血を注ぐ日々・・・それが祟って、信之は100歳まで生きられませんでした。
昔NHKで放映された『真田太平記』では渡瀬恒彦演じる信之が主演でした。父昌幸が丹羽哲郎、弟信繁役は草刈正雄でした。
超長生きじゃんw
信之の定番ネタですな
私も同意します。池波正太郎氏も信之を高く評価して居ますね。本当に、信之が凡庸な人間なら、他の豊臣恩顧の大名のように取り潰しに成って居たと思うのです。それを回避出来た信之と言う人間の器量って?と思ってしまいます。
まず昌幸は武藤家に出されています。そして小松姫に関しては書面の印字が不確かな所があるため大阪に居る可能性は低いですね。そもそも、の場合から考えれば小松姫の人質としての価値は少ないので選択肢としては当時の真田であれば他に人質として価値のある人材がありますね。そして色々な私情で信之は徳川側なので人質としても送る必要性が全くない。
それはただ可能性の話でしょ?人質に出されていないという具体的な資料でもあるの?
真田家の場合、昌幸と信幸が別々の大名家として扱われており、朝鮮出兵の兵割合も別々で要請が来ています。ですので、小松姫も人質として大坂にいるのが自然です。また、豊臣時代は、昌幸、信幸とも「徳川家」の与力です。信幸だけが徳川側というわけではありません。
九度山で生活してた時真田紐を編み出してこれが大ヒットして幸村(信繁)は大金を手に入れたと聞いた事があるこれが大阪城に馳せつけるための軍資金になったとか
真田の領地は仕方がないよ日本海と太平洋の丁度中間ですからね
遠縁につながる者ですが、4代は知りませんでした。(^^);
渡瀬恒彦さんと加藤武さんがひっくり返る話ですね。
なんか、鎧に張りが出来てる。クリーニング(作り直)したのかな?
お城の件に関しては初耳だなぁ、借金にまみれてて、愚痴の御手紙を送ってのは知ってた、何故に借金にまみれてて、お兄さんっちに仕送りをお願いしまくってた理由も意外で、昔の生活が忘れラレなかった?、華々しく散って、後世名を轟かせたんですね。
真田の上田城は家康の普請が抜けてるな
大河ドラマは大概作り話ですね。真実は面白い!
大概と言うより。歴史上の有名な人物を題材にした完全なフィクションドラマですですので、物語の時代背景では無く放送する時代背景で作風が変わります大河ドラマではと言うのは戦国武将などのアニメ作品やゲーム作品ではと言うのと同じですから
滋野一族は海野氏・望月氏・禰津氏に別れ、海野氏から派生したのが真田氏、真田幸隆の時代に村上・諏訪・武田連合軍に敗れて、一時、長野氏に身を寄せていたが、その後武田晴信に使え、砥石崩れの後に真田幸隆が砥石城を攻略する手柄を立てた、三男の昌幸は人質の身から、小姓に取立てられ、更に武田一族の武藤という名跡を継ぎ、武藤喜兵衛尉昌幸を名乗り、信玄公の斡旋で今出川晴季の娘と結婚、長篠の戦で信綱・昌輝の二人の兄が戦死したため、昌幸が元性復帰し、真田安房守昌幸となった。
海野宿に訪れた時、真田は海野の裏切り者だ!とブツブツ言ってたおじいちゃんがいてビックリしましたが、主のコメントのような流れがあるからなんですね
これ調べたら眉唾もんだなぁ〜真田系の資料によれば通説通りが多くて、清音院の事なら兎も角、側室の事をわざわざ言ってるのか、はたまた家康が一部側室を勝手に返してる点もあるからこれが真実と断定できないなぁ
ナレーターの方の声に慣れるまでちょっとかかりそう
新事実というわりにはけっこう知られている話ばかり。真田研究をしたことない人が上っ面だけかじって「研究しました!(ドヤっ)」な内容だった。
あと昌幸、繁信の策略なのか何故か九州(島津家)の領土に真田の家紋がある。この謎は昌幸からの知恵なのか繁信の知恵なのか気になりますね
ともあれ真田家は真田幸隆の時代から慕えており真田は古参の家柄かと思います。しかし、そこには何かしらの策略があったとは思いますが、これは酷い推測に過ぎない
妙な話だが、真田家の末裔は存在するが、本家の旧松代藩主家は血縁は男系は伊達政宗ですね。
伊達真田家って次男、信繋だけど
真田本家である信之の家系は最後の藩主が宇和島伊達家から入っているので、現在ご当主は血統的には政宗の子孫です。仙台真田家とは別ですよ。
昌幸にとって戦のない時代は生きがいもなかったでしょうね。最後は大阪の陣で暴れまわってほしかった…。
ハッカーを追跡してもらいたいです!気になら一声欲しいです!神経が壊れてます!
内容は面白いのに広告が多過ぎ
国史大辞典にはこの動画の様な記載はないけど?豊臣の朝臣は正しいと思うけど!
なんだ知ってることばかりだったわ
隠棲???配流・流罪じゃないの??????????????????????
新事実??え?1966年発刊の、小林計一郎著 真田史料集や、1996年発刊の、柴辻俊六著 真田昌幸は御覧になられておりますか?小松姫の逸話も、断定してしまうのはあまりにも危険だと思いますよ。
小松殿の件については、真田宝物館に所蔵されている「七月三十日付 大谷吉継書状」の中で、「皆様の妻子や縁者は保護したので、豆州(信幸)も安心して欲しい」という記載がありますね。
一通の書状で断言はできる訳が有りません。右筆の手になるものかもしれませんよ?偽書かもしれませんよ?
@@中村隆宏-x8u 1次資料なので、かなり信ぴょう性はありますよね。
信之「真田4代・・・」
アシェさんのゲーム動画見ると、真田がもっと好きになる(創作ですがw)信雄、、、、( ´艸`)
幸村と嫡男は大阪の陣のあと獄死しますが幸村の次男は伊達家の家臣だったため、政宗は片倉小重郎に次男を引き取らせました真田家は片倉に姓を変えて白石城下で江戸期を過ごし、明治に真田姓に復帰しました徳川は一度は咎めたものの、その後は見ぬふりをしていたとか
子孫が今も健在しています。
真田幸隆は真田三~四代の中には入らないのかぁ。
この分だと、「本当は武田騎馬隊は存在しなかった!」とか、そんなタイトルの動画を、したり顔で作りそうだな…。
上田は元々村上の郷。
十勇士は架空としても家臣や使用人もそれなりにいたろうし、年間一千万では数十人は暮らせないと思う
信繁が豊臣につく理由がわからん、武田滅ぼしたのは織田、徳川やし、上杉についた過程で豊臣につくことになったんかな?、親父にお前は豊臣につけ!兄ちゃんは徳川やし2つに分けたるわ、言うてもはいそうですか、って言えるのかな、秀吉死んで豊臣はほぼ消えかかってるんだし
この動画の作者は歴史の研究者か?
江戸幕府の武家諸法度が定める迄は大名の正室が江戸在府を義務づけされる事はない筈です。時は戦国時代ですから豊臣政権側の許しが有れば沼田城に信之の正室の小松殿が居ても良い筈です変だとはいえないのではないですか?
どちら様?❤️
昨今幸村の名前は信繁が正しいなどという説がまかり通っているが完全な間違いである幸村の名前が資料に残っていないのは家光の時に大名の系図を作成した際に兄の信幸が関ヶ原や大坂の陣で豊臣についた弟幸村の名前を徳川方に憚って系図から消去したからだつまりそんな人物はいなかったことにしたのであるそもそも真田家の名前は父親である昌幸はじめ全員「幸」の字が入っており幸村だけがその名前を使わないのは道理が合わないこんなことは少し調べればわかるはずなのになぜ現代の学者がわからないのかまったくわからない
ナレーションの女性の話し方に何か抵抗が. . . 折角の好きな真田家が💦
👍👍👍👍👍👍👍👍
知ってた。。。曽祖父の代からも知ってる。残念なチャンネルだった。
全く新しい事がなかった ・・・残念です
知ってるよ
何だかね。まあ、通説通りっちゃそうなんだけど、昌幸、信繁を高く評価し信之を余り評価しないのは納得が行かない。確かに、二人に比べれば、合戦では高名を挙げては居ない。でも、それだけで信之を評価して良いのだろうか?作家の池波正太郎氏も信之を高く評価して居る一人だ。合戦で二人程、目立つ話は無いかも知れない。しかし、父弟が家康を散々苦しめ命すら脅かした大名として生き永らえた功績は、偏に信之の功績だろう。福島正則、加藤清正の家はどう成った?小早川秀秋の家は?関ケ原で寝返った豊臣恩顧の大名は?皆、当代は何とか無事でも、二代、三代で取り潰しの憂き目に遭って居る。それより強烈に徳川家の敵として戦った父弟の居る信之の真田家が残ったのは何故か?一つには信之が九十過ぎ迄、当時としては非常な長寿だった為かも知れない。しかし、政治的手腕を評価せざるを得ないと思うが?世間一般では、昌幸、信繁の名が有名過ぎて信之を過小評価して居ると思う。他の豊臣恩顧の大名は皆、取り潰しの憂き目に遭って居るのに、何故、信之だけが生き残れたのか?此処に、信之の並大抵で無い手腕を見るべきでは無いのか?藤堂高虎のようなおべんちゃら使いだったと言う話も聞いた事が無い。目立たず実直に、相手に「ああ、こいつは裏切らない」と思わせる手腕が長けて居たとしか思えない。信之の立場で其処迄、相手から信用を勝ち取ると言うのが如何に凄いかと思うのだが?普通なら、他の豊臣恩顧の大名と同じ運命を辿って居るだろう。信之は果たして世間一般で言うような凡庸な人間だったのだろうか?そう言う意味で、私は池波正太郎氏の意見に賛成である。昌幸、信繁だけを持ち上げ、信之を凡庸と貶める世間一般の見方には与し難い。
ひり!ら?😊😊😊
ドラマは金儲け、噓も方便。どこぞの国のドラマが歴史、惨めな先祖。
池波正太郎の「真田太平記」に毛を生やしたような内容
完了
李知恩藝人
中身が薄っ。。。
幸村は豊臣方にまぎれこんだ埋伏の毒だと思ってる。名前の分からない武田の遺臣甲州流軍学を学んだ影の軍師によるものなのではないか家康の甲州侵攻の速さ、武田の家系を息子に継がせ残してたりもするしね。恐ろしいね権謀術数の鬼武田信玄大嫌いだけどさ。真田日本一の兵。本田忠勝も武田方に誉められまくった怪しい男でしたw笑っちゃうねw
33
島津家の口伝である、秀頼一行が薩摩に来て、生きており、真田幸村もいたこと。また、現地には幸村の子孫がいることが語られてなくてガッカリです。
そんな伝承に過ぎないことを大っぴらに語ることできないでしょうよ。
@@明石則実 文書には残せない徳川の時代でしたからね。殿様から殿様だけに口伝で伝えられた真実ですね。国松君が大分県日出町の木下家の子となり、代を重ねたことも、木下家の言い伝え。
@@rt-fk6to 史料に基づかない二次史料以下の口伝を過大評価してしまうと、古事記・日本書紀の神代なんかも何も史料は残されていないが稗田阿礼などが口伝伝承を受けた人々への聞き取り調査をした上で編纂したので史実ということになっちゃいますよ。ファンタジーと史実は区別しましょう。口伝が史料的価値を持つのは、史料と照らし合わせて一致していた時などだけです。
花のような秀頼を鬼のような真田が連れて退きも退いたり鹿児島へまあ浪速の人々の願望でしょう
@@subuya428 めちゃくちゃド正論で好きです!
サ行、特にすの発音が気になります。口内炎ですか?
約30年前から悲運の真田信綱に注目していた。昌幸と幸村親子が大河ドラマ等で注目されているが、才能では信綱が上回り、信玄も注目期待していた。長篠大敗の確定間地か、武田軍の副将格馬場民部は信綱に伝えた。そなただけは必ず生き延びろ武田を頼むと伝えた。信玄同様に信綱の才能を見抜いての発言であると感じた。儀と情を重じる信綱は討ち死にした。あの天才軍略家の昌幸に冷や飯を食わせて影へおいやる可能性を秘めていた事に歴史の面白さを感じる。 それにしても真田家 恐ろしや 最強一族である。真田は才能と最強を兼ねていても天下人にはなれなかった。運が必要な事を歴史で教えてくれた。
歴史の新事実って大抵いままでの伝承より事実はショボかった、というパターンが多いんだが・・・この一族の場合もっとすごかった
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小松殿は関ヶ原の頃は大阪にいたのですね。この事実は知りませんでした。武装して昌幸を城に入れなかった逸話が好きだったのにw。
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武士の本懐を遂げられたんだ、天国で喜んでるだろう
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あとワンちゃん吉継の書状の妻子って清音院の可能性もあるよね?前年に家康が妻子の一部を勝手に帰国させてるし…難しい
新事実は言い間違いだけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
信之の妻、小松姫が大坂にいたこと。
したがって沼田城で義父を追い返した話は真っ赤なウソってことになる。
@@明石則実 沼田を北条に譲って箕輪を領有してからの、信幸の権限で家臣に領地を与えてることから信幸は昌幸から独立してたのかも知れませんね。
それだとする小松姫も大坂にいたのは納得生きますらね。
なんで大阪に居たのかも余り納得いかないな
本多の姫なら尚更
@@jardins-du-cosmos なぜ本多の姫だと懐疑的なんです?
昌幸は徳川に負けたことがないという話もある。三方ヶ原、2度の上田合戦。真田が大阪城に入場した時、家康は親の方か子の方かと聞いたという話しもある。
小松殿の話はたまげたなぁ。さすがの忠勝の娘よ。の台詞が無くなったんだからねぇ。
てゆうか、そんないかにもテレビ受けする逸話を史実と思い込む方がどうかしてるだろ(笑)
啄木鳥戦法も三段撃ちも全部嘘(笑)
@@pyonpyonkim922 小松姫が本多忠勝の娘だから西軍にとって人質としての価値は細川ガラシャよりも高いでしょう。何故ガラシャだけ抹殺されたかはその父親が(ry
徳川の後世作り替え話は豊臣家のとは違って何でもアゲアゲではないのです。関ケ原も殆ど嘘ですからね。
@@もぶえじ 今では、関ケ原の合戦もなったくの別物、関ヶ原で戦いはなかった。小早川は戦の最中に裏切っていない。などの説が有力ですからね。
上田城櫓門脇に真田石といって信之が移封先の松代に持って行こうとしたが動かせず断念したという巨石がありますが、この石についても真田氏を偲ぶために根拠なく誰かが勝手に言い出したことなのでしょうね
個人的には、真田信之がもっと世間にクローズアップされてほしいですね。
若い頃は、父に従って数々の戦場を駆け抜け、
徳川の時代では真田を守るために心血を注ぐ日々・・・
それが祟って、信之は100歳まで生きられませんでした。
昔NHKで放映された『真田太平記』では渡瀬恒彦演じる信之が主演でした。父昌幸が丹羽哲郎、弟信繁役は草刈正雄でした。
超長生きじゃんw
信之の定番ネタですな
私も同意します。池波正太郎氏も信之を高く評価して居ますね。本当に、信之が凡庸な人間なら、他の豊臣恩顧の大名のように取り潰しに成って居たと思うのです。それを回避出来た信之と言う人間の器量って?と思ってしまいます。
まず昌幸は武藤家に出されています。そして小松姫に関しては書面の印字が不確かな所があるため大阪に居る可能性は低いですね。そもそも、の場合から考えれば小松姫の人質としての価値は少ないので選択肢としては当時の真田であれば他に人質として価値のある人材がありますね。そして色々な私情で信之は徳川側なので人質としても送る必要性が全くない。
それはただ可能性の話でしょ?人質に出されていないという具体的な資料でもあるの?
真田家の場合、昌幸と信幸が別々の大名家として扱われており、朝鮮出兵の兵割合も別々で要請が来ています。ですので、小松姫も人質として大坂にいるのが自然です。また、豊臣時代は、昌幸、信幸とも「徳川家」の与力です。信幸だけが徳川側というわけではありません。
九度山で生活してた時
真田紐を編み出してこれが大ヒットして幸村(信繁)は大金を手に入れた
と聞いた事がある
これが大阪城に馳せつけるための軍資金になったとか
真田の領地は仕方がないよ
日本海と太平洋の丁度中間ですからね
遠縁につながる者ですが、4代は知りませんでした。(^^);
渡瀬恒彦さんと加藤武さんがひっくり返る話ですね。
なんか、鎧に張りが出来てる。クリーニング(作り直)したのかな?
お城の件に関しては初耳だなぁ、借金にまみれてて、愚痴の御手紙を送ってのは知ってた、何故に借金にまみれてて、お兄さんっちに仕送りをお願いしまくってた理由も意外で、昔の生活が忘れラレなかった?、華々しく散って、後世名を轟かせたんですね。
真田の上田城は家康の普請が抜けてるな
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大概と言うより。
歴史上の有名な人物を題材にした
完全なフィクションドラマです
ですので、物語の時代背景では無く
放送する時代背景で作風が変わります
大河ドラマではと言うのは
戦国武将などのアニメ作品やゲーム作品ではと言うのと同じですから
滋野一族は海野氏・望月氏・禰津氏に別れ、海野氏から派生したのが真田氏、真田幸隆の時代に村上・諏訪・武田連合軍に敗れて、
一時、長野氏に身を寄せていたが、その後武田晴信に使え、砥石崩れの後に真田幸隆が砥石城を攻略する手柄を立てた、
三男の昌幸は人質の身から、小姓に取立てられ、更に武田一族の武藤という名跡を継ぎ、武藤喜兵衛尉昌幸を名乗り、信玄公の斡旋で今出川晴季の娘と結婚、長篠の戦で信綱・昌輝の二人の兄が戦死したため、昌幸が元性復帰し、真田安房守昌幸となった。
海野宿に訪れた時、真田は海野の裏切り者だ!とブツブツ言ってたおじいちゃんがいてビックリしましたが、主のコメントのような流れがあるからなんですね
これ調べたら眉唾もんだなぁ〜真田系の資料によれば通説通りが多くて、清音院の事なら兎も角、側室の事をわざわざ言ってるのか、はたまた家康が一部側室を勝手に返してる点もあるからこれが真実と断定できないなぁ
ナレーターの方の声に慣れるまでちょっとかかりそう
新事実というわりにはけっこう知られている話ばかり。真田研究をしたことない人が上っ面だけかじって「研究しました!(ドヤっ)」な内容だった。
あと昌幸、繁信の策略なのか何故か九州(島津家)の領土に真田の家紋がある。この謎は昌幸からの知恵なのか繁信の知恵なのか気になりますね
ともあれ真田家は真田幸隆の時代から慕えており真田は古参の家柄かと思います。しかし、そこには何かしらの策略があったとは思いますが、これは酷い推測に過ぎない
妙な話だが、真田家の末裔は存在するが、本家の旧松代藩主家は血縁は男系は伊達政宗ですね。
伊達真田家って次男、信繋だけど
真田本家である信之の家系は最後の藩主が宇和島伊達家から入っているので、現在ご当主は血統的には政宗の子孫です。
仙台真田家とは別ですよ。
昌幸にとって戦のない時代は生きがいもなかったでしょうね。最後は大阪の陣で暴れまわってほしかった…。
ハッカーを追跡してもらいたいです!気になら一声欲しいです!神経が壊れてます!
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なんだ知ってることばかりだったわ
隠棲???
配流・流罪じゃないの??????????????????????
新事実??え?
1966年発刊の、小林計一郎著 真田史料集や、1996年発刊の、柴辻俊六著 真田昌幸は御覧になられておりますか?
小松姫の逸話も、断定してしまうのはあまりにも危険だと思いますよ。
小松殿の件については、真田宝物館に所蔵されている「七月三十日付 大谷吉継書状」の中で、
「皆様の妻子や縁者は保護したので、豆州(信幸)も安心して欲しい」という記載がありますね。
一通の書状で断言はできる訳が有りません。右筆の手になるものかもしれませんよ?偽書かもしれませんよ?
@@中村隆宏-x8u 1次資料なので、かなり信ぴょう性はありますよね。
信之「真田4代・・・」
アシェさんのゲーム動画見ると、真田がもっと好きになる(創作ですがw)
信雄、、、、( ´艸`)
幸村と嫡男は大阪の陣のあと獄死しますが
幸村の次男は伊達家の家臣だったため、政宗は片倉小重郎に次男を引き取らせました
真田家は片倉に姓を変えて白石城下で江戸期を過ごし、明治に真田姓に復帰しました
徳川は一度は咎めたものの、その後は見ぬふりをしていたとか
子孫が今も健在しています。
真田幸隆は真田三~四代の中には入らないのかぁ。
この分だと、「本当は武田騎馬隊は存在しなかった!」とか、そんなタイトルの動画を、したり顔で作りそうだな…。
上田は元々村上の郷。
十勇士は架空としても家臣や使用人もそれなりにいたろうし、年間一千万では数十人は暮らせないと思う
信繁が豊臣につく理由がわからん、武田滅ぼしたのは織田、徳川やし、上杉についた過程で豊臣につくことになったんかな?、親父にお前は豊臣につけ!兄ちゃんは徳川やし2つに分けたるわ、言うてもはいそうですか、って言えるのかな、秀吉死んで豊臣はほぼ消えかかってるんだし
この動画の作者は歴史の研究者か?
江戸幕府の武家諸法度が定める迄は大名の正室が江戸在府を義務づけされる事はない筈です。時は戦国時代ですから豊臣政権側の許しが有れば沼田城に信之の正室の小松殿が居ても良い筈です変だとはいえないのではないですか?
どちら様?❤️
昨今幸村の名前は信繁が正しいなどという説がまかり通っているが完全な間違いである
幸村の名前が資料に残っていないのは家光の時に大名の系図を作成した際に兄の信幸が関ヶ原や大坂の陣で豊臣についた
弟幸村の名前を徳川方に憚って系図から消去したからだ
つまりそんな人物はいなかったことにしたのである
そもそも真田家の名前は父親である昌幸はじめ全員「幸」の字が入っており
幸村だけがその名前を使わないのは道理が合わない
こんなことは少し調べればわかるはずなのになぜ現代の学者がわからないのかまったくわからない
ナレーションの女性の話し方に何か抵抗が. . . 折角の好きな真田家が💦
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知ってた。。。曽祖父の代からも知ってる。残念なチャンネルだった。
全く新しい事がなかった ・・・残念です
知ってるよ
何だかね。まあ、通説通りっちゃそうなんだけど、昌幸、信繁を高く評価し信之を余り評価しないのは納得が行かない。確かに、二人に比べれば、合戦では高名を挙げては居ない。でも、それだけで信之を評価して良いのだろうか?作家の池波正太郎氏も信之を高く評価して居る一人だ。合戦で二人程、目立つ話は無いかも知れない。しかし、父弟が家康を散々苦しめ命すら脅かした大名として生き永らえた功績は、偏に信之の功績だろう。福島正則、加藤清正の家はどう成った?小早川秀秋の家は?関ケ原で寝返った豊臣恩顧の大名は?皆、当代は何とか無事でも、二代、三代で取り潰しの憂き目に遭って居る。それより強烈に徳川家の敵として戦った父弟の居る信之の真田家が残ったのは何故か?一つには信之が九十過ぎ迄、当時としては非常な長寿だった為かも知れない。しかし、政治的手腕を評価せざるを得ないと思うが?世間一般では、昌幸、信繁の名が有名過ぎて信之を過小評価して居ると思う。他の豊臣恩顧の大名は皆、取り潰しの憂き目に遭って居るのに、何故、信之だけが生き残れたのか?此処に、信之の並大抵で無い手腕を見るべきでは無いのか?藤堂高虎のようなおべんちゃら使いだったと言う話も聞いた事が無い。目立たず実直に、相手に「ああ、こいつは裏切らない」と思わせる手腕が長けて居たとしか思えない。信之の立場で其処迄、相手から信用を勝ち取ると言うのが如何に凄いかと思うのだが?普通なら、他の豊臣恩顧の大名と同じ運命を辿って居るだろう。信之は果たして世間一般で言うような凡庸な人間だったのだろうか?そう言う意味で、私は池波正太郎氏の意見に賛成である。昌幸、信繁だけを持ち上げ、信之を凡庸と貶める世間一般の見方には与し難い。
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完了
李知恩藝人
中身が薄っ。。。
幸村は豊臣方にまぎれこんだ埋伏の毒だと思ってる。名前の分からない武田の遺臣甲州流軍学を学んだ影の軍師によるものなのではないか
家康の甲州侵攻の速さ、武田の家系を息子に継がせ残してたりもするしね。恐ろしいね権謀術数の鬼武田信玄大嫌いだけどさ。
真田日本一の兵。本田忠勝も武田方に誉められまくった怪しい男でしたw笑っちゃうねw
33
島津家の口伝である、
秀頼一行が薩摩に来て、生きており、真田幸村もいたこと。
また、現地には幸村の子孫がいることが語られてなくてガッカリです。
そんな伝承に過ぎないことを大っぴらに語ることできないでしょうよ。
@@明石則実
文書には残せない徳川の時代でしたからね。
殿様から殿様だけに口伝で伝えられた真実ですね。
国松君が大分県日出町の木下家の子となり、代を重ねたことも、木下家の言い伝え。
@@rt-fk6to 史料に基づかない二次史料以下の口伝を過大評価してしまうと、古事記・日本書紀の神代なんかも何も史料は残されていないが稗田阿礼などが口伝伝承を受けた人々への聞き取り調査をした上で編纂したので史実ということになっちゃいますよ。
ファンタジーと史実は区別しましょう。
口伝が史料的価値を持つのは、史料と照らし合わせて一致していた時などだけです。
花のような秀頼を鬼のような真田が連れて退きも退いたり鹿児島へ
まあ浪速の人々の願望でしょう
@@subuya428 めちゃくちゃド正論で好きです!
サ行、特にすの発音が気になります。
口内炎ですか?
約30年前から悲運の真田信綱に注目していた。昌幸と幸村親子が大河ドラマ等で注目されているが、才能では信綱が上回り、信玄も注目期待していた。
長篠大敗の確定間地か、武田軍の副将格馬場民部は信綱に伝えた。そなただけは必ず生き延びろ武田を頼むと伝えた。信玄同様に信綱の才能を見抜いての発言であると感じた。儀と情を重じる
信綱は討ち死にした。あの天才軍略家の昌幸に冷や飯を食わせて影へおいやる可能性を秘めていた事に歴史の面白さを感じる。 それにしても真田家 恐ろしや 最強一族である。
真田は才能と最強を兼ねていても天下人にはなれなかった。運が必要な事を歴史で教えてくれた。